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今日の聖書の言葉

アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。

紀元30年頃のイスラエル

使徒ペテロ

イスラエルの人たち。・・・アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒み、・・・殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。(使徒3:12〜15)

兄弟たち。・・・あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたのです。しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。(使徒3:17〜18)

あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたあの契約の子孫です。神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。(使徒3:25〜26)

そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシアと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。(使徒3:19〜21)

この箇所は、イエスが復活し、昇天したあとに、使徒ペテロがイスラエルの人々に語ったことばです。神がアブラハムと結んだ契約との関係から見ると、ポイントが4つあります。

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  1. 「アブラハム、イサク、ヤコブの神」とは、「アブラハム、イサク、ヤコブが信じた神」という意味ではありません。「アブラハムと契約を結んでくださった神、その契約を息子イサク、そして孫ヤコブへと継承してくださった神」という意味です。アブラハム契約はヤコブの12人の息子に、そしてイスラエル民族へと継承されました。その意味において、イスラエル民族は「あの契約の子孫」(使徒3:25)なのです。契約の内容は、土地・子孫・祝福の3項目に及びます。
    • (1)カナンの地はその全土がアブラハムとその子孫に与えられます。
    • (2)アブラハムは最初子どもがありませんでしたが、その子孫は星の数のように多くなります。またアブラハムの子孫の中からダビデの王家は堅く立ちます。
    • (3)アブラハムの子孫であるダビデの家系からキリストが現れ、地の諸民族はみな祝福を受けます。
  2. キリストについての旧約聖書の預言には、「受難のしもべ」と「勝利の王」の2種類があります。イスラエルの人々は無知ゆえに、イエスを拒否し十字架にかけてしまったわけですが、神はこれをも用いて、受難のしもべの預言を実現されました。
  3. 受難のしもべは、アブラハム契約の中の祝福の約束に基づいて遣わされました。イエスは十字架で流した血で私たちの罪をきよめ、信じる者に神の祝福を与えます。この約束は、イスラエル民族に限らず、すべての諸民族に与えられるものです。神はまずイスラエルの人々にしもべイエスを遣わされました(使徒3:26)。それをイスラエルの人々は拒否してしまったのです。
  4. イエスは、次には、「勝利の王」として遣わされます。そのための条件は、イスラエルの人々がイエスを拒否した民族的・歴史的な罪を悔い改めて、イエスに「あなたこそメシヤです。帰ってください。」と懇願し、神に立ち返ることです。それまでは、イエスは天にとどまっていなければなりません。イスラエル民族の悔い改めによって、イエスが再びこの地上においでになると、世界に離散しているイスラエルの人々は約束の地に帰還し、地上にキリストの王国が建てられます。これが、「回復の時」であり、「万物の改まる時」です。そして、このときに、アブラハム契約のあと二つの約束、土地の約束と子孫の約束が成就します。
清水 誠一

この記事の執筆者

清水 誠一

熊本聖書フォーラム代表

清水 誠一

1955年生まれ。静岡県出身。
1981年熊本大院卒。
税理士事務所、日本IBMに勤務ののち、1995年より熊本市に在住、現職は会社役員。
20代で右翼思想から転向して、米国バプテスト教会宣教師より受洗。
30代でペンテコステ系神学に傾倒するも挫折、ガン病棟を経験。
40代は仕事に没頭、家庭崩壊と離婚の危機。
50代で聖書を読み直す。
2013年より熊本聖書フォーラム開始、現在に至る。
2014年7月ハーベスト聖書塾卒。