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今日の聖書の言葉

人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒瀆は赦されません。

紀元28年頃のイスラエル

イエス・キリスト

だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒瀆は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。(マタイ12:31〜32)

これは、悪霊につかれて目が見えず、口もきけない人をイエスが癒したときに、ユダヤ教パリサイ派の指導者たちが、イエスの力は悪霊のかしら、悪魔(サタン)から来ていると非難したことに対して、イエスが語られたことばです。

もちろん、イエスは、サタンの力によってではなく、神の御霊(聖霊)によって、悪霊どもを追い出していました。ユダヤ教パリサイ派の指導者たちは、これを目の前で見ながら、神の働きを悪魔の策略だと決めつけてしまいました。これが、「聖霊に逆らう冒瀆の罪」です。

この罪の特徴は、2つあります。

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  1. イエスを目の前で見ながら、イエスを通してなされた聖霊の働きを、悪魔によるものだと冒瀆することです。これは、その時代の人にしか犯すことのできない罪です。
  2. この罪は、個人的な罪ではなく、ユダヤ人全体の民族的な罪です。この罪が確定したのは、個々のユダヤ人がイエスを信じたり、信じなかったりというときではなく、ユダヤ教の指導者たちがイエスは悪魔に憑かれていると公式に判定したときだからです。

この罪が赦されないというのは、この罪を犯した当時のユダヤ人たちが民族的に神のさばきを受けるということです。イエスがエルサレムの近くに来て都を見て泣かれたというのは、そのためです(ルカ19:41〜44)。イエスが十字架にかかってから40年後の紀元70年、ローマ軍によってエルサレムと神殿は破壊され、ユダヤ人たちは世界に離散しました。

「この世であろうと次に来る世であろうと」というのは、「この世と死後のあの世」という意味ではありません。「この世」とは、人々が好き勝手に生活しているように見えますが、実は罪と悪魔に縛られている今の時代のことであり、「次に来る世」というのは、キリストが王となって地上を支配する時代を指します。この時代には、罪の問題は解決済、悪魔は逆に縛られて活動が封じられます。「神の国」とか「天の御国」とも呼ばれます。

次に来る世では、イエス・キリストが再び人々の目の前に現れて、全世界の王となり、地球環境は改善され(イザヤ65:17)、正しく平和な世界統治がされます。このときは、キリストはユダヤ人だけでなく全世界の王ですから、他の諸国民が「聖霊に逆らう冒瀆の罪」を犯す可能性があります。ゼカリヤ書には、エジプトをはじめいくつかの国々がそれを犯して、神からの刑罰として災害を被ると預言されています(ゼカリヤ14:17〜19)。

清水 誠一

この記事の執筆者

清水 誠一

熊本聖書フォーラム代表

清水 誠一

1955年生まれ。静岡県出身。
1981年熊本大院卒。
税理士事務所、日本IBMに勤務ののち、1995年より熊本市に在住、現職は会社役員。
20代で右翼思想から転向して、米国バプテスト教会宣教師より受洗。
30代でペンテコステ系神学に傾倒するも挫折、ガン病棟を経験。
40代は仕事に没頭、家庭崩壊と離婚の危機。
50代で聖書を読み直す。
2013年より熊本聖書フォーラム開始、現在に至る。
2014年7月ハーベスト聖書塾卒。