もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、「根こそぎ海の中に植われ」と言えば、言いつけどおりになるのです。
紀元30年頃のイスラエル
イエス・キリスト
使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです」(ルカ17:5〜6)
からし種というのは、小さな種の代表格です。一方、ここで言う桑の木とは、パレスチナ地方でよく見かけるイチジク桑のことで、樹齢は数百年と言われ、根が広く、深く張ることで知られる木です。この聖書の言葉は、小さな信仰でも大きなことを成し遂げることができることを、からし種と桑の木の対比で絵画的に教えています。
ふつうに考えると、からし種のような小さな信仰で、そのような大きなわざが行えるとは思えません。からし種のような信仰でほんとうに大丈夫なのでしょうか。
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「いわしの頭も信心から」という言葉があります。これは、いわしの頭のようにとるに足らないものでも、信じる気持ちがあればその人にとっては尊いものになるという、信仰心の不思議をたとえた言葉です。しかし、聖書が言う信仰はそれとは違います。聖書はこう言います。
あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(1ペテロ1:21)
「あなたの信仰は神にかかっている」というのは、「いわしの頭も信心から」とは逆の発想ですね。信仰が立つのも倒れるも、信じる対象である神次第だと言っているからです。この聖書箇所が言っていることは、次のように言い換えることもできるでしょう。
「神が実在しなければ、神を信じても意味はない。神に人を救う力がなければ、神に信頼しても空しい。しかし、神が実在し、キリストを死から復活させるほどの力を持っておられるのであれば、からし種ほどの信仰でも十分である。信仰は、人の盲目的な信心ではなく、神が実際におられるということと、死者をも復活させる神の力にかかっているからだ」
次に、聖書の中にある実例を見てみましょう。あるとき、使徒のペテロとヨハネが、エルサレム神殿の「美しの門」という所で生まれつき歩けない人をいやしました。それを見た人々が二人の所に大勢集まってきたときに、ペテロが語った言葉です。
ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか」(使徒3:12)
そして、ペテロは次のように続けます。
このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。(使徒3:16)
偉大な信仰が、大きなことを成し遂げるわけではありません。信仰の力の源は、神であるイエスにあるからです。からし種のような信仰でもかまいません。その信仰をもって一歩踏み出すことで、神の偉大な力を体験し始めるのです。
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