あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
紀元30年頃のイスラエル
イエス・キリスト
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。……あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:25、32〜34)
外洋を航行する大型貨物船は、浸水した場合を想定して、船倉がいくつもの部屋に区切られている。船長は、ボタンひとつで、各小部屋の鉄の扉を閉めることができる。それによって、浸水が広がることを防ぐためである。
人生という航海においても、過ちと失敗に満ちた過去という部屋の扉を閉めることを学ぶ必要がある。また、まだ来ていない明日という日に対しても、扉を閉める必要がある。それによって、今日という日を、全力で生きることができるようになる。
日々の生活の中で、過去という部屋の扉も、未来という部屋の扉も、ともに閉めることを学ぼう。
K.N. (月刊デボーションガイドClay【クレイ】2012年7月号より)
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地上の宝をいくらたくわえても、心配事がなくなるわけではありません。お金持ちのほうが貧しい人よりも心配事が多いというのも、現実にはあります。そこでイエスは、心配事から解放される秘訣を教えてくれました。
(1)大切ないのちやからだを与えてくださった神が、それよりも価値の劣る食べ物や着物を備えてくださらないはずがありません。
(2)心配してクヨクヨすること自体が、まったくムダなことです。なぜなら、私たちのいのちは、神の御手の中にあるからです。
(3)あすのことを思いわずらって、今日を生きる力を失ってはいけません。その日その日を精一杯に生きることで、あすの道が開けます。「神の国とその義とを求めよ」とあります。神との正しい関係を維持するなら、必要なものは備えられる。これが聖書の約束です。
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