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第9課「人生のパノラマ」(前半)

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」 (IIコリント3:18)

 「人は死んだらどうなるのか」。母親が病弱だった私は、少年時代から、この問いに悩まされ続けてきました。ある時は絶望し、ある時はその問題について考えないようにし、自分をごまかしながら生きてきました。しかし、ついに聖書の中に、驚くべき答えを発見したのです。この課では、人はどこから来てどこへ行こうとしているのか、について学んでみましょう。(セッション前半)


第9課の絵の概念

第9課「人生のパノラマ」

1. 胎児:人間の存在は、受精した瞬間から始まります。

2. 幼児:肉体の誕生を経て、地上生涯に入ります。

3. 十字架の前の人:新生体験を経て、霊的いのちが活動し始めます。

4. 墓:地上生涯の終わりに、肉体の死がやって来ます。

5. 墓から出て来た人:主イエスの再臨のとき、新しい肉体によみがえります。

6. ライオンと遊ぶ子ども:千年王国がこの地上に実現し、自然界の秩序が回復されます。

7. 天に昇る階段:新しい天と新しい地で、主とともに永遠に住むようになります。

【補足】

1)5. と6. の間の炎:千年王国の前に来る患難時代

2)6. と7. の間の炎:サタンや罪人が最終的に裁かれる白い御座の裁き

スピーカー:中川健一

聖書箇所:IIコリント3:18

収録日:20080825

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イントロダクション

 「人は死んだらどうなるのか」。母親が病弱だった私は、少年時代から、この問いに悩まされ続けてきました。ある時は絶望し、ある時はその問題について考えないようにし、自分をごまかしながら生きてきました。しかし、ついに聖書の中に、驚くべき答えを発見したのです。
 この課では、人はどこから来てどこへ行こうとしているのか、について学んでみましょう。


1. 人間の存在は、受精した瞬間から始まります。

 人間の創造に関する最も感動的で明確な記述が、詩篇139篇に見られます。
 ・全知の神(1〜6 節)
 ・遍在の神(7〜12 節)
 ・創造の神 (13〜16 節)
 ・神への信頼(17〜24 節)

「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに」(詩篇139:16)

 人間の存在確率を示す数式 400/30万 × 1/5億

 

2. 肉体の誕生を経て、地上生涯に入ります。

 人生の諸体験の中で、最も危険、かつ劇的なものが出生体験です。胎児のときとは全く異なった存在形態に移り変わるのです。
 ・呼吸を始めます。
 ・乳を飲み始めます。
 ・人格的交流を求め始めます。
 しかし、胎児にとっては、このような世界があること自体とうてい理解することができないものです。

 

3. 新生体験を経て、霊的いのちが活動し始めます。

 胎児が、出生後の世界を信じることができないのと同様に、生まれながらの人も、霊的いのちがあることを信じることができません。しかし、イエス・キリストは、ヨハネの福音書3 章で、ニコデモに対して、はっきりと、新生の必要性についてお語りになっています。

「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません』」(ヨハネ3:3)

 イエスとニコデモの対話から、新生についての次の3点が明らかになります。
 ・新生の必要性(necessity)
 ・新生の神秘性(nature)
 ・新生の緊急性(nearness)

 肉体の誕生と霊の誕生には相関性があります。
 ・苦痛(カルバリの十字架)
 ・呼吸(祈り)
 ・乳 (みことば)
 ・交流(交わり)

 

4. 地上生涯の終わりに、肉体の死がやって来ます。

 聖書の中では、死とは消滅を表す言葉ではなく、関係の断絶を表す言葉であるということに注目しましょう。

「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ』」(創世記2:16,17)

 聖書には、3つの死が描かれています。
 ・霊的な死(現世において経験する神との断絶)
 ・肉体の死(肉体と霊の分離)
 ・永遠の死(罪人の最終的な運命)

 ここで扱うのは、第二の死(肉体の死)です。人は死ぬとどうなるのでしょうか。
 ○肉体は墓に葬られます。
 ○霊は、パラダイス(アブラハムのふところ)に行きます。

「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています」(ピリピ1:23)

 ○罪人の霊は、シェオール(ハデス)に行きます(ルカ16:19 以降参照)。
 旧約時代は、シェオール(ハデス)の中に、苦しみの場所と慰めの場所(パラダイス)が存在していましたが、イエス・キリストの復活と昇天以降、パラダイスは第三の天にまで引き上げられました。

「そこで、こう言われています。『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた』─この『上られた』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです─」(エペソ4:8〜10)

 ○罪人の運命について、次のことを理解しておく必要があります。
 ・人は、その人に与えられた光の量によって裁かれる。
 ・ハデスにおいて、罪の軽重はある。
 ・第二のチャンスはない。

祈ってみよう!

イエス・キリストを心に受け入れるにはどうしたらいい?

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