2024
11.01
Q.419 政教分離は聖書的ですか。
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Q.質問
Q:(1)政治の仕事をしてから、人間不信に陥りました。結果として聖書に辿り着きました。人を信じるくらいなら、イエス様を信じるという相対的で消極的な信仰に救いはあるのでしょうか。(2)政教一致と政教分離、どちらが聖書的ですか。
A.回答
A:はじめに
今回は、(2)の質問に答えます。このテーマについて、3つ申し上げます。
1番目に、マタイの福音書22章21節が参考になります。
「イエスは彼らに言われた。『これはだれの肖像と銘ですか』。彼らは『カエサルのです』と言った。そのときイエスは言われた。『それなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい』」
(1)信者は国家の守りの中に置かれていますので、国家に対する義務があります。
(2)しかし、信者が優先すべきは、神への義務です。
2番目に、ローマ人への手紙13章1節が参考になります。
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです」
(1)国家権力は、社会の秩序を守るために、神によって立てられたものです。
(2)それゆえ信者は、国のルールに従い、良き市民となることを目指すべきです。
(3)しかし、権威が堕落し、神に反抗する場合は、この限りではありません。
3番目に、政教分離の歴史を確認しましょう。
(1)16世紀の宗教改革は、教会の権威に対する挑戦をもたらしました。
①教会の教義や権力に対する批判が高まり、政教分離の考え方が深まりました。
(2)18世紀の啓蒙思想やフランス革命は、政教分離を推進しました。
(3)アメリカ合衆国の建国時に制定された憲法は、政教分離を明文化しました。
①合衆国憲法修正第1条
(4)日本国憲法も政教分離を明文化しています。
①日本国憲法第20条と第89条
千年王国においては正教一致が実現しますが、そこに至る過程においては、政教分離が聖書的だと考えられます。