2024

10.25

Q.418 相対的で消極的な信仰に救いはあるのでしょうか。

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Q.質問

Q:(1)政治の仕事をしてから、人間不信に陥りました。結果として聖書に辿り着きました。人を信じるくらいなら、イエス様を信じるという相対的で消極的な信仰に救いはあるのでしょうか。(2)政教一致と政教分離、どちらが聖書的ですか。

A.回答

A:はじめに

今回は、(1)の質問に答えます。このテーマについて、3つ申し上げます。

1番目に、どんな方法であっても、主イエスに導かれるのは素晴らしいことです。

(1)この方は、人間不信がきっかけで聖書に、そして主イエスに導かれました。

(2)私の場合は、人生の意味を求める中で、主イエスに導かれました。

(3)病、失恋、不幸な出来事などを通して、主イエスに導かれる人もいます。

(4)神の摂理の御手はいつも働いています。

2番目に、相対的で消極的な信仰にとどまっているなら、救われていない可能性が大です。

(1)信仰の対象である神は、無限大のお方です。

(2)イエス・キリストは、救いに至る唯一の道です。

(3)キリストの福音は、絶対的なものです。

3番目に、救われているかどうかは、信仰の内容によって決まります。

(1)「政治の仕事をしてから、人間不信に陥りました」とありました。

(2)他者を指さすのではなく、その指を自分に向けましょう。

(3)そうすると、自分も罪人の一員であることが分かるようになります。

(4)これを認罪と言います。

(5)罪人は、神の怒りを身に受けるべき存在です。

(6)それが分かると、キリストの十字架の死が自分のためであったことが分かります。

(7)「福音の三要素」を信じる人は、救われます。

  ①キリストは私たちの罪のために死なれた。

  ②墓に葬られた。

  ③三日目によみがえられた。

(8)救いとは、神の怒りからの解放です。

神は、さまざまな方法で私たちを救いへと導かれます。