現代文の授業で、「国語にも答えがあるんだな」と思ったものですが、聖書の解釈だってちゃんと正解があるんですね。現代文の先生も言ってました。「よーく読めば答えはわかる、でもコツはある。」
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Q.質問
Q:同じ聖書を読んでも、人によって解釈が異なります。なぜそういうことになるのですか。
A.回答
A:はじめに
正しい解釈は、常に1つである。しかし、誰が読むか、どういう方法で読むかによって、解釈は違ってくる。聖書解釈について、いつものように3つ申し上げる。
1番目に、不信仰が解釈を歪めている場合がある。
(1)聖書は、神の霊感によって書かれた書である。
①つまり、誤りは含まれていないということである。
②神は、著者が誤りを書かないように、守り導かれた。
(2)不信者にとっては、聖書は人間の作品であり、誤りを含んでいる。
(3)不信者にとっては、自分の理性が最終的な権威である。
(4)不信者は、聖書の上に立って、聖書を解釈する。
2番目に、解釈学を正しく適用していない場合がある。
(1)解釈学とは、文章を解釈するためのルールである。
(2)信者であっても不信者であっても、解釈学が間違っていると、正しい結論に到達できない。
(3)最も注意すべきは、比ゆ的解釈である。
①難解な箇所が出てくると、比ゆ的解釈に走る人が多い。
(4)聖書は、字義どおりに解釈すべきである。
3番目に、聖霊の導きよりも人間の判断が優先される場合がある。
(1)信者であっても、聖霊の導きに頼らないなら、誤った解釈をしてしまう。
(2)聖書の最終的な著者は、聖霊である。
(3)聖霊は、私たちの理解を助けてくださる。これを「啓明」という。
(4)自我が強い信者は、自分の思いを聖書に押しつける傾向がある。
聖書は、聖霊の導きによって読まなければならない。