「現代人の思考に適合するように修正されたキリスト教です」キリッ! なるほど〜。それを聞いて編集Mは、外国で見かける、なんだか全然違う食べ物にアレンジされた「スシ」を思い出しました(笑)。さっそく解説をご覧ください。
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Q.質問
Q:ある牧師から、自由主義神学に注意しなさいと助言されましたが、そもそも自由主義神学とはどういうものなのか、分かっていません。教えてください。
A.回答
A:はじめに
「自由主義神学」(Liberal Theology)は、19世紀半ばに姿を現わし、20世紀前半に最高潮に達した神学体系である。自由主義神学者たちは、キリスト教を現代人の思考に適合するように修正した。自由主義神学の特徴について、いつものように3つ申し上げる。
1番目に、聖書論に関する逸脱がある。
(1)最終的な権威は、聖書ではなく、人間の理性である。
(2)聖書は、「霊感を受けた書」ではなく、誤りを含んだ人間の作品である。
(3)聖書のどの部分が真理であるかは、人間が決定することになる。
①意見の相違が多いのは、人間の理性が最終的な権威になっているからである。
(4)特に問題になるのは、創世記の冒頭に出てくる創造物語である。
①それは事実ではなく、比ゆ的物語か神話に類するものである。
②しかし、主イエスは、創造物語を字義どおりに解釈された。
2番目に、キリスト論に関する逸脱がある。
(1)イエスは、善良な道徳の教師であった。
(2)弟子たちは、史的イエスを再解釈し、信仰によるイエス像を作り上げた。
(3)自分たちの教えに重みを持たせるために、イエスが奇跡を行ったことにした。
(4)イエスの処女降誕は、神話的物語である。
(5)イエスは、肉体的に復活したわけではなく、弟子たちの思いの中で復活した。
3番目に、救済論に関する逸脱がある。
(1)人間は、全的堕落状態にあるわけではない。
(2)キリストの贖いの死がなくても、自分で自分を救うことができる。
(3)愛なる神が人間を地獄に投げ込むことなど、あり得ない。
(4)そもそも、人間は罪人ではないし、地獄も存在しない。
自由主義神学は、キリスト教の本来の教えを変更してしまった。
ハーベスト・タイムは、字義どおりの解釈を提唱している。