2021
09.01
Q.300 予定論は聖書的ですか。
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Q.質問
Q:キリスト教の神学思想に、カルヴァンの予定説があると聞きました。神の救済に与る者と滅びに至る者が予め決められている(二重予定説)、とのことです。しかし、第一テモテ2:4には、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます」と記されています。どのように、神の救いを理解すれば良いのかを教えてください。
A.回答
A:はじめに
非常に高度なご質問をいただきました。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、予定説は非常に評判の悪い教えです。
(1)救われる人とそうでない人があらかじめ決まっているというのは、アンフェアだと考える人が多くいます。
(2)それに対する反論は、以下のようなものです。
①人間は完全に堕落しているので、滅ぼされても当然の状態にある。
②滅びに至る人の中から、神が何人かを選んだとしても、神を批判することはできない。
2番目に、予定説は聖書的教えです。
(1)ローマ8:29~30
「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました」
(2)エペソ1:11
(3)「あらかじめ定めた」は、ギリシア語で「プロオリゾウ」です。
(4)ただし、「滅びるようにあらかじめ定めた」という聖句はありません。
3番目に、神の主権と人間の自由意志をバランスよく理解する必要があります。
(1)予定説は、神の主権を強調しています。
①しかし、神の主権を強調し過ぎると、運命論に近づきます。
(2)聖書は、人間の自由意志も強調しています。
①しかし、人間の自由意志を強調し過ぎると、神の主権を否定することになります。
(3)聖書は、救われるためには信じる必要があると教えています。
(4)ヨハネ3:16
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(5)神の主権と人間の自由意志の両方を受け入れるべきです。
参考になる聖句
「またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです」 (エペソ1:11)
神の主権と人間の自由意志は、ともに聖書の教えです。