この頃、昔いじめられたことがフラッシュバックしてしまって辛いという質問者さんです。医療的ケアも考えられる内容ですが、クリスチャンとしてどんなことができるでしょうか。
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Q. 質問
Q:21才のクリスチャンです。この頃、昔いじめられていたことが走馬灯のように蘇り、感情が揺さぶられてしまいます。私はそのいじめがきっかけでイエス様に出会い、神様を信じるようになりました。しかし、この頃、その感謝以上に辛かった思い出の記憶の方が大きく、とてもしんどいです。どのように過去の辛い経験と折り合いを付ければ良いのか分かりません。
A. 回答
A:この方は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)か、それに近い状態になっておられるのだと思います。今の状態が悪化するようですと、専門医に相談するのもひとつの方法です。ここでは、聖書を基に、一般的なお話しをしたいと思います。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、解決には時間がかかることを受け入れましょう。
PTSDの症状は、痛みの体験をした後、数ヶ月で出て来る人もいれば、数年後に出て来る人もいます。その人の遺伝的資質、生活環境、またフォローアップ態勢の有無などが、個人差を作り出す原因だと思われます。さらに、心的ストレスの収束に数ヶ月かかる人もいれば、数年かかる人もいます。いずれにしても、自分を責めたりしないで、気長に取り組むことです。クリスチャンの場合は、信仰を盾に取って、自分を責めることが多いように思います。自分を赦し、自分を愛せるのは、先ず自分自身であることを思い出しましょう。
2番目に、神の目から見た自己像を確立しましょう。
イエス・キリストを信じた私たちは、「新しく造られた者」です。クリスチャンは、神に愛されている子どもです。信仰によって、罪が赦されました。聖霊の証印を受けています。永遠のいのちが与えられています。神は、私たちのために素晴らしい計画を用意しておられます。心の赴くままに進むのではなく、日々聖書を読み、祈り、神の目から見て自分が何者なのかを確認することが重要です。
3番目に、支援してくれる人たちを見つけましょう。
私たちには、自分の痛みや悩みに耳を傾けてくれる人たち、愛をもって真実を語ってくれる人たちが必要です。価値観を共有するクリスチャンが周りにいるなら、それは幸いなことです。そのためにも、信者の共同体(教会)の一員であることは、重要なことです。複数の人たちとの交わりの中で行う聖書の学びや祈りには、個人の場合とは異なる祝福があります。また、受けるだけでなく、与える側に付くことも、癒しにつながります。
参考になる聖句
「御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます」 (ローマ8:16)
自分を責めないで、時間をかけて取り組んでください。
もっと詳しく知りたい方は
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマ5:3〜4)
▲この聖書箇所は前後の文脈を無視して誤解されてしまうことがとても多い箇所です。患難を耐え抜き、磨かれて品性が生まれ、その延長上で希望にたどり着くのだと考えてしまうのです。しかしながら、ここで言っている「希望」の根拠は私たちの頑張りではなく、神の恵みにあります。