創世記2章によれば、神は本来「一夫一婦制」を意図しておられたことがわかります。ではなぜ、旧約時代の人たちはごく普通に複数の妻をめとることができたのでしょうか。聖書を読む際には、神が命じておられることと、歴史上起こったことを区別する必要があります。
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Q. 質問
Q:旧約聖書には、複数の妻をめとっている事例がたびたび登場します。神様は、彼らの一夫多妻を認めておられたのでしょうか。それとも、それは彼らの犯した過ちであり、罪だったのでしょうか。
A. 回答
A:確かに、旧約聖書では一夫多妻の事例が複数出てきます。このテーマに関して、いつものように3つ申し上げます。
創世記2章24節には、「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」 とあります。従って、一夫多妻制は神が積極的に認めたものではなく、堕落した人間が始めた習慣だと言えます。聖書を読む際には、神が命じておられることと、歴史上起こったことを区別する必要があります。
2 番目に、神が一夫多妻制を許容されたことには、それなりの理由があると思われます。
最初に複数の妻をめとったのは、レメクです(創4:19)。それに続く代表的な人物としては、アブラハム、ヤコブ、ダビデ、ソロモンなどがいます。ところが神は、一夫多妻制を明確には糾弾しておられません。なぜでしょうか。
当時の婦人たちは、父親、兄弟、夫などに依存して生活していました。未婚の女性や夫に先立たれた婦人は、非常に厳しい状況の中に置かれました。彼女たちに残された道は、娼婦になるか、奴隷になるか、餓死するか、のいずれかでした。そう考えると、一夫多妻制には、女性を救済するという側面があったことが分かります。
と同時に、一夫多妻制によって数々の問題が生じたことも事実です。アブラハムもヤコブも、妻たちの対立関係によって苦しめられました。ダビデもまた、家庭内の不和に苦しみました。ソロモンの場合は、異教の妻たちを通して偶像礼拝をイスラエルに持ち込むことになりました。
3 番目に、新約時代においては、一夫多妻制は許されません。
何が変わったのでしょうか。神の計画が、結婚の最初の形態である一夫一婦制を回復する段階に入ったということです。神が一夫多妻制を一時的に黙認されたことには、それなりの理由があったわけですが、その理由が消滅し始めたのです。
近代社会においては、女性が自立して生きる可能性は、広がりました。今でも一夫多妻制を必要とする文化圏があるかもしれませんが、それは極めて希なケースです。現在、ほとんどの国で一夫一婦制が法制化されています。クリスチャンは、神の御心に反しない限り、自分の国の法律に従うように命じられています。それゆえ、今は一夫一婦制だけが有効な結婚の在り方です。
参考になる聖句
「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」(創2:24)
一夫多妻制は、神が積極的に認めた習慣ではありません。