まず、このご質問の意味がよくわからない!という方も多いかもしれません。救いの兜とは、エペソ人への手紙6章10節以降でパウロが語っている、霊的戦いに必要な6つの「神の武具」のうちの一つです。質問者さんは、なぜ救いが頭を守るのか?というところがどうも腑に落ちないそう。興味深いのは、「神の武具」のほとんどが、攻撃ではなく防御のためのものだというところです。さっそく解説をご覧ください。
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Q. 質問
Q:霊の戦いの武具で、5つは納得できます。でも、「救いのかぶと」がどうしてもイメージできません。なぜ、「救いのかぶと」があるのでしょう。救いが、頭を守るように思えず、どうしても体得できません。追伸:洗礼を受けていないだけで、自分はクリスチャンだと思っていますが・・・。
A. 回答
A:この質問は、エペソ人への手紙6章10節以降の内容に関するものです。パウロは、霊的戦いに必要な「神の武具」について語っています。合計6つの武具が列挙されています。
①腰には真理の帯、
②胸には正義の胸当て、
③足には平和の福音の備え、
④信仰の大盾、
⑤救いのかぶと、
⑥御霊の与える剣である神のことば。質問された方は、5番目の「救いのかぶと」が理解できないと言われます。では、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、6つの武具は、霊的戦いに勝利する方法を教えるための比喩的言葉です。
パウロは、当時ローマ兵が着用していた武具を例に取って、霊的戦いにおいて有効な方法を説明しています。
これは比喩的言葉ですから、ひとつひとつの武具を定義し、その役割を論じても、あまり意味がありません。
2番目に、6つの武具のほとんどが防御的なものです。
6番目の「御霊の与える剣である神のことば」だけが例外で、攻撃的武器です。
よく見ると、6つの武器のすべてが「神のことば」と関係していることが分かります。
つまり、6つの武器の根源は「神のことば」なのです。要約すると、
霊的戦いに勝利する秘訣は、「神のことば」への信頼だということです。
3番目に、「救いのかぶと」は、特に激しい戦いを想定して用いられている言葉です。
当時の常識ですが、鉄製のかぶとは、頭に被ると重くて暑いので、
非常に不愉快になります。
そのため、兵士は普段はかぶとを被っていません。激しい戦いに直面した時にだけ、
かぶとを被ります。かぶとは、「安全」や「安心」を象徴しています。クリスチャンにとっては、
救いの確信はかぶとのようなもので、魂に平安を与えてくれます。
最後にひとこと。「福音の三要素」を受け入れ、キリストに信頼を置いたなら、
その人は救われています。キリストへの従順を示すために、
次の2点を実行されることをお勧めします。
①洗礼を受ける。
②信者の群れに参加し、定期的に礼拝を捧げる。
参考になる聖句
「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう」(1テモ5:8)
「救いのかぶと」とは、魂に平安をもたらしてくれる救いの確信のことです。
もっと詳しく知りたい方は
しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう(第1テモテ 5:8)
#58 霊的成長、霊的死、霊的貧しさなど、霊的という言葉はよく使われています。小学生には、この霊的とはなんと説明すればよいのでしょうか?