「私たちが救われるのは、神様の一方的な計画で、私たちが信じるという自由意志は全く関係していないのでしょうか。」というご質問です。エペソ1:4には「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び…」と書かれているため、同じような疑問をお持ちの方も多いかもしれません。今回の解説では、神が与えて下さる「救い」とは、どんな人にあてられたものか、それを信じるとはどういうことなのかを、もう一度しっかりとおさらいします。
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Q. 質問
Q:私たちが救われるのは、神様の一方的な計画で、私たちが信じるという自由意志は全く関係していないのでしょうか。救いは行いではなく、恵みによるということは、すごく理解できますが。
A. 回答
A:これは、神の主権と人間の自由意志の関係についての質問です。ある意味、神学的質問の典型的な例です。いつものように3つ申し上げます。
1 .私たちは、自分の力で救いを勝ち取ることはできません。
(1)生まれながらの人は、霊的に死んでいます。
(2)本来与えられていた自由意志が、機能不全に陥っている状態です。
2 .救いは、すべて神の主権と恵みによって私たちに与えられるものです。
(1)神が御子イエスを十字架に付け、救いの道を開いてくださいました。
(2)救いはすべて神が用意してくださったものです。
(3)私たちの側で、イエス・キリストの福音につけ加えるものは何もありません。
3 .神は、神の招きに応答するように私たちに命じておられます。
(1)救いは神の主権と選びによるものです。
(2)と同時に、神はすべての人を招いておられます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタ11:28)
(3)信じるとは、その招きに応答することです。
(4)神の主権と人間の自由意志は、ともに受け入れるべき真理です。
参考になる聖句
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタ11:28)
救いには、神の主権と人間の自由意志がともにかかわっています。
もっと詳しく知りたい方は
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます(マタイ11:28)
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。
ローマ人への手紙(38)―拒否の理由(2)― (ロマ10:1〜11) (アウトラインPDF)
イスラエル人がメシアであるイエスを拒否したことの、パウロによる解説です。この中に、神の選びについての詳しい解説も登場します。少し難易度は高めですがおすすめの教材です。
出エジプト記(04)―モーセの言い訳(1)― (出3:11〜22) (アウトラインPDF)
聖書には神の主権と人間の責任の関連性について書かれた箇所が、他にも多数あります。出エジプト記では、神により選ばれたモーセが、その召しに答えられない理由を探している場面です。