旧約聖書には土曜日を安息日とせよと書かれていますが、現在、ほとんどのキリスト教会では日曜日に礼拝が行われていますね。なぜでしょう。今回のご質問、実は「旧約聖書の律法は新約時代(=現代)の私たちにどう関係するか?」というところに行き着きます。キリストの十字架の意味が改めてよくわかる、必見の解説です。
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Q. 質問
Q:安息日は日曜日に変わったとするイエスのことばはありますか。聖書を根拠とするなら、ユダヤ教と同じ土曜日が安息日ではないかと言われました。どう答えればよいですか。
A. 回答
A:これは、旧約聖書の律法を今の私たちにどのように適用したらよいかという問題です。いつものように3つ申し上げます。
1.安息日の規定は、モーセの律法に含まれるものです。
(1)神は、エジプトを出たイスラエルの民にモーセの律法をお与えになりました。
(2)十戒は、モーセの律法に含まれます。
(3)十戒の第4戒が安息日の規定です。
(4)イスラエルの民は、土曜日に労働することを禁じられました。
(5)この規定は、彼らが自由の民となったことの象徴です。
2.イエス・キリストが十字架で死なれた時に、モーセの律法の要求は満たされました。
(1)「完了した」とは「完済した」という意味です。
(2)新約時代の信者は、モーセの律法に束縛されることはありません。
(3)安息日の規定によって束縛されることもありません。
(4)また、安息日が日曜日に変わったということでもありません。
(1)キリストの律法とは、聖霊によって心に書かれる律法です。
(2)より具体的には、種々の書簡の中で教えられている内容がキリストの律法です。
(3)キリストの律法は、礼拝の曜日は指定していません。
(4)定期的に集まって礼拝することを命じています。
(5)つまり、日曜日でもよいし、それ以外の日でもよいということです。
参考になる聖句
「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」 (ヘブ10:25)
新約時代の聖徒には、安息日の規定は適用されません。
もっと詳しく知りたい方は
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか(ヘブル10:25)
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
▲こちらは無料ではない教材ですが、聖書の契約(神様の約束)には時代区分があるということがよくわかる内容です。時代区分を無視した聖書研究をして混乱してしまった方や、旧約時代の律法をそのまま実践しようとして苦しい思いをされている方には非常におすすめです。