2015
01.26
Q.55 私は仏教徒ですが、キリスト教を信仰したいと思っています。 キリスト教では、他宗教を信じつつ、信仰するということは 許されているのでしょうか?
こちらの質問は編集Mにとっては斬新!というか意外性のある質問でしたが、日本は年末にお寺で除夜の鐘を突き、お正月には神社に行く文化のある国。言われてみれば、同じ疑問を持つ方も多いかもしれません。この動画では、聖書の神とはどんな神で、キリスト教信仰を持つとは具体的にどういうことなのかを見て行きます。
テキストで読む
#55. キリスト教は、他宗教と両立して信仰できますか。
Q. 質問
私は仏教徒ですが、キリスト教を信仰したいと思っています。キリスト教では、他宗教を信じつつ、信仰するということは許されているのでしょうか。
A. 回答
この質問に関しては、ぜひご自分で答えをお出しいただきたいと思います。
ただし、その答えを出すためのヒントを、今日は3つ申し上げたいと思います。「聖書が何を教えているか」ということですね。
1番目に、聖書は「神は唯一である」と教えています。
聖書は、「神は、天地を創造された神である」と教えています。神は、あなたや私を創造されたお方です。
実は、キリスト教というのは、「教えの体系」ではなくて「神との関係」なのです。「神との関係をどう正せばいいのか」というのが、キリスト教の神髄ですね。
2番目に、聖書は「救いとは神との平和の回復」であると教えています。
私たちは、神によって造られました。ですから、神に対して「説明責任」を負っています。しかし私たちには、神の期待通りの姿になっていないという現状があります。その状態こそ、聖書が言う「罪」なのです。クリスチャンになるというのは、神との関係を回復することです。神に背を向けて生きていた私たちが、「神との平和」を得ること。これが、クリスチャンになるということなのです。
神を愛さずして、クリスチャンになることはできません。教えの体系を受けただけでは、不十分です。
そして3番目に、聖書は「イエス・キリストだけが唯一の救いの道である」と教えています。
イエス・キリストは、「神と人との仲介者」です。そのような仲介者になるために、神であるお方、聖書では「神の子」と呼ばれるお方が、人となってくださいました。
イエス・キリストはこう言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネの福音書14:6)
イエス・キリストは、私たちのために、「罪の代価」を支払うために死んでくださいました。イエス・キリストを救い主と信じた人は、神が提供される「和解」を受け入れた人です。それができたなら、冒頭のご質問には自ずから答えが出ると、私は思います。
ぜひ、聖書を開いてイエス・キリストというお方と出会ってください。
参考になる聖句
「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」(使徒の働き4:12)
もっと詳しく知りたい方は
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです(使徒の働き 4:12)
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