2014
07.14
Q.34 新約聖書の四福音書を照らし合わせると明らかな矛盾があります。 これは、聖書にも間違いがある証拠ではないのですか?
四福音書とはイエスキリストの生涯やその教えなどを、4人の記者がそれぞれの立場から記録したものです。ちょうど、オリンピックの1つの場面を、各国の放送局がそれぞれに取材し、自分の国に向けて放送するようなイメージですね。この質問をされた方は、四福音書の内容を照らし合わせながら読んだのでしょうか、だいぶ聖書を研究されているようです。 さて、聖書のここが矛盾では?と思ったら、どうしたらよいでしょう。
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#34. 新約聖書と四福音書を照らし合わせると矛盾が出てきます。
Q. 質問
わたしは、研究のために聖書を読んでいます。その中で、新約聖書の四福音書を照らし合わせると明らかな矛盾が出てきました。これは、聖書にも間違いがあるという証拠ではありませんか。
A. 回答
いつものように、3つ申し上げます。
1番目に、「純粋な動機」で聖書を読めば、聖書が「調和の取れた書」であることが分かります。
しかし、「間違いを見つけてやろうという動機」で読むならば、聖書が伝えようとしている本当のメッセージは、なかなか心に響いてきません。
もちろん、聖書には解釈が困難な箇所があります。それは、私も認めます。けれども、「解釈が困難だ」ということと、「聖書が矛盾している」ということは、別問題です。もう少し、それは考える必要があると思います。
2番目に申し上げたいのが、聖書は約1500年の間に、約40人の著者によって書かれたものだということです。
ですから、難解な箇所があるのは、当然なのです。
各書のテーマが異なります。想定している読者も、書かれた目的も異なります。そして、書き方のスタイルも異なります。そのため、同じテーマを扱っていても、内容や表現法が異なる場合があるわけです。
しかし、内容や表現法が異なっているというのは、必ずしも矛盾ではありません。「違いを説明することが不可能だ」という場合にのみ、矛盾といえるのです。
私の体験を申し上げますと、かつては難解で「この箇所はとてもメッセージができない」と思っていた箇所が、学びが積み上がっていくにしたがって、メッセージができるようになりました。
また、考古学や歴史学の発展によって、かつては疑問視されていたことに回答が与えられるということは、今も起こり続けています。
3番目に、「では、矛盾だと思える箇所に出会ったら、どうすればよいか」です。
まず、祈り心を持って聖書を読み、単純な解決策がないかを探ることです。意外と、「ああ、こう考えればいいんだ」と発見することが多いですね。
それでも無理ならば、注解書や信仰書にあたってみることです。最近は、インターネットでも、聖書の疑問に答えているサイトがありますから、そういう箇所も参考にするとよいでしょう。
それでも疑問が解決しない場合は、霊的指導者、牧師、伝道者、宣教師、クリスチャンの先輩などに、相談してみることです。
しかし、どんなに努力しても、答えが見つからない場合があります。その場合は、その疑問を一時的に「冷凍庫」に入れておけばいいのです。つまり、フリーズしておきなさいということです。いつか、必ず分かるようになります。…そのことを、「回答する(解凍する)」と言います(笑)。
聖書は、「神のことばだ」という前提で読むのがよいですね。純粋な動機で聖書を読めば、聖書のメッセージは分かるようになってきます。
参考になる聖句
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(テモテ人への手紙第二3:16〜17)
もっと詳しく知りたい方は
今日ご紹介したい聖書の言葉
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(テモテへの手紙第二3章16節)
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです」(ヨハネの福音書5章39節)