2014
03.01
Q.24 神が愛なら、どうしてこの世は苦しみ、悲しみで満ちているのですか?
難しくてとても3分で答えられそうにない質問ですが、この動画では、そんな難題も3つのポイントに整理して考えてみます。それにしても、もし神様が愛ではなかったら・・・?
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#24. 神が愛なら、どうしてこの世に悲しみや苦しみがあるのですか。
Q. 質問
ニュースなどを見ていると、悲しい事件があったり、さまざまな争いが止むことなく続いたりしています。私自身も、悲しみや苦しみにさいなまれることがあります。神が愛ならば、どうしてこの世では、こんなにも苦しみや悲しみが絶えないのでしょうか。
A. 回答
この質問は、「神が愛なら、どうして悪が存在するのか」という質問に置き換えてもいいですね。とても重要な問いかけだと思います。と同時に、これは、100パーセント回答できる人がいない質問ですね。
しかし、聖書には「考えるためのヒント」がいくつか記されていますから、それを3つ挙げて、ご一緒にこの難しい問題に取り組んでみたいと思います。
1番目に、神は人間に「自由意志」を与えたというところを押さえてください。
自由意志がなければ、人間はロボットになります。私たち人間には、「神に従う自由」も、「反抗する自由」も与えられています。
2番目に、「人間はその自由を行使して神に反抗した」というところを押さえてください。つまり、「人間は自由を悪用した」ということですね。
アダムは最初に造られた人ですが、彼は人類の代表として神と契約を結び、行動しています。不幸なことに、彼は罪を犯しました(神に反抗しました)が、人類の代表として行動しているので、その影響がアダムの子孫である私たちにも及びました。だからと言って、アダムを責めることはできません。なぜなら、私たち自身もまた、アダムのように行動していたはずだからです。
神が愛ならどうして、と私たちは言いますが、客観的に考えれば、人間の側に問題があるのです。それが聖書の教えです。
3番目に、これは大変重要なポイントですが、「しかし、神はそのような人類を見捨てていない」ということです。
神は依然として、私たちの上に目を注ぎ、私たちを救おうとしておられます。ですから、逆の質問をしてみるとよいのです。「もし神が愛でないとしたら、どうしてこの世に、こんなに喜びや感動的なことがたくさんあるのか」。
確かに、人生には悲しみや苦しみがあります。しかし、それと同時に、嬉しいこと、生きていて良かったと思えることが、この世には溢れています。
そして神は、苦しみと悲しみへの最終的な回答を用意されました。それが、イエス・キリストの「十字架」です。イエスは十字架の上で、神に反抗し滅びるしかない私たちの罪の咎を、全部引き受けてくださいます。それが「十字架の愛」です。
確実に言えるのは、神は、苦しみや悲しみへの最終的な回答を持っておられる、ということです。あなたも、あなたを愛して止まない父なる神様のもとに、イエス・キリストを通して近づいてください。
参考になる聖句
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(ヨハネの手紙第一4:10)
もっと詳しく知りたい方は
△クリスマスの特別メッセージの中盤で、今回と全く同じ疑問について触れられています。キリストに出会う前の中川健一牧師も、かつてはこの質問をされた方と同じような考えを持っておられたとか?!青年・中川健一がどのように変化したか、興味深く観ていただけると思います。
キリストの使徒たちが伝えたこと(2)―使徒信条とは―「イントロダクション(2)」(アウトラインPDF)
△「使徒信条」という、多くの教会で毎週繰り返し読まれている文章を詳しく解説しながら、苦難の意味について考えている回です。