知恵が叫ぶ?!そうなんです。知恵を擬人化するには、わけがあります。箴言ならではの表現について知っておくと、もっと理解することができます。
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Q. 質問
Q:箴言1:20~21 には、こうあります。「知恵は大通りで叫び、広場でその声をあげ、騒々しい街角で叫び、町の門の入り口で、そのことばを語る」。ここでの知恵とは、誰か特定の人物のことですか。
A. 回答
A:箴言のキーワードは、「知恵」です。「知恵」に関して、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、箴言では「知恵」が擬人化されています。
つまり、「知恵」という教師がいて、その人が私たちに語りかけてくるような体裁を採っているということです。これは、箴言の内容を読者の心に強く印象付けるための文学的手法です。このような文学的手法を擬人法と言います。たとえば「山が笑っている」と言うと、山が新緑に覆われている様子が目に浮びます。また、「空が泣いている」と言えば、雨が降っているという意味です。
2番目に、知恵の擬人化には、文学的手法ということ以上の意味があります。
箴言8章と9章には、「知恵」が天地創造の前から存在していたことが記されています。箴言8:22には、 「【主】は、ご自分の働きのはじめに、そのみわざの最初に、わたしを得ておられた」 とあります。さらに、箴言8:28〜30では、知恵が創造の業に参与したことが示されています。以上のことから、擬人化された「知恵」とは、受肉前のキリストであると判断できます。箴言を、キリストからの直接的な語りかけとして読むなら、大きな祝福を得ることができます。
3番目に、知恵は3種類の人に語りかけています。
(1)まず、「わきまえのない者」です。これは、「若くて未経験な者」、つまりは若者のことです。いつまでも判断力のないままでいてはいけないというのが、若者への忠告です。(2)次に、「あざける者」です。これは、神をあざ笑い、その教えに耳を傾けようとしない反抗的な者のことです。(3)3番目に、「愚かな者」です。これは、霊的なことに興味を示さず、真理に無感覚な者のことです。そのような人は、知恵ある教えを軽蔑します。
以上の3種類の人は、悔い改めを迫る知恵の声を無視します。その結果、「災難や苦難」に遭います。知恵の忠告に耳を傾けないなら、自らの愚かさと罪の中で滅びていくしかありません。しかし、知恵に聞き従う者は、安全に導かれ、安らかな生涯を送ることができます。愚かな3種類の人たちの道に進んではなりません。知恵に聞き従うとは、神を恐れながら人生を歩むことです。
参考になる聖句
「わたしの叱責に立ち返れ。おまえたちにわたしの霊を注ぎ、わたしのことばを知らせよう」 (箴言1:23)
「知恵」とは擬人化された教師のことです。
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