とにかく旧約聖書が嫌い。という方からのご質問です。本が分かれていると、別ものとして見てしまうのは仕方ないのかもしれません・・・。ちなみに編集Mは、新約でイエス様の言っていることの意味がわからなかったのに、旧約を学んだらすごくすっきりわかって感動したことがあります。旧約が嫌いになったきっかけや理由を是非お聞きしたかったですね〜!さて、新旧全部を信じないと、救われないのでしょうか?
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Q. 質問
Q:旧約聖書は嫌いで、信じられないし、信じたくもありません。新約聖書を信じていても、 旧約聖書も信じないと救われないのでしょうか。
A. 回答
A:この質問は、突き詰めれば、救われるためには何を信じなければならないのか、というものです。いつものように3つ申し上げます。
1 番目に、人は福音を信じ、イエス・キリストに信頼を置いて救われます。
福音の中には3つの要素が含まれていますが、それを分かりやすくするために、私は「福音の三要素」という言葉を使っています。その3つの要素とは、①イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと、②墓に葬られたこと、③3日目に甦られたことです。これに同意し、イエス・キリストをそのようなお方として受け入れるなら、その人は救われます。
2 番目に、福音を信じた人は、新約聖書の中心的な啓示を信じたことになります。
「新約聖書を信じる」と言っても、その意味はあいまいです。もしそれが、新約聖書の全貌を理解するということであるなら、そういう人は存在しません。それは有限な私たちには不可能なことだからです。福音を信じた人は、新約聖書の中心的な啓示を理解したことになります。それ以外の部分は、霊的成長に伴って理解できるようになります。新約聖書を信じたから救われるのではなく、救われたから新約聖書が理解できるようになるのです。
3 番目に、福音を信じた人は、旧約聖書の預言の重要な部分を信じたことになります。
「福音の三要素」は、すべて旧約聖書に預言されていたものです。従って、使徒たちは、新約聖書がまだ書かれていない段階にあっても、旧約聖書だけを用いて伝道することができました。つまり、人は福音を信じた時点で、旧約聖書の預言の主要な部分を信じたことになっているのです。新約聖書の場合と同じように、旧約聖書においても、霊的成長に伴ってその理解は深くなって行きます。
旧約聖書と新約聖書は、断絶した2つの書ではなく、連続した神のことばです。旧約聖書と新約聖書は一体となって、神の計画の連続性と信頼性を証言しています。
参考になる聖句
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです」 (ヨハネ5:39)
旧約聖書と新約聖書は一体となって、神の計画の連続性と信頼性を証言しています。
もっと詳しく知りたい方は
Q.49 聖書のある部分は信じているが、 ある部分は信じていない、という人でもクリスチャンなのですか?
Q.33 聖書にはすばらしい言葉が詰まっていますが、奇跡の話を読むとバカバカしくて、読む気が失せます。どうして聖書にはこうも奇跡の話が多いのですか?
そう言われても、旧約をイチから読むのはねぇ・・・という方、一書を60分でわかるように解説した聖書解説シリーズがあります。 ぜひどうぞ!