聖書は「あなたの父と母を敬え」と命じていますが、虐待を受けた子供でも親を敬うべきですか?というご質問への回答、シリーズ2回目です。第1回目では霊的なケアの方法でしたが今回は実質的な側面を取り扱います。「親を敬う」とは、実際どのような行為のことを言うのでしょうか。(第1回はこちら)
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Q. 質問
Q:児童虐待を経験した子どもでも、両親を敬わなければなりませんか。
A. 回答
A:聖書は、「あなたの父と母を敬え」(出20:12)と命じていますが、この命令は、親から虐待を受けた人には重荷です。もし聖書に、「善良な父と母だけを敬え」とあるなら、どれほど楽になることでしょう。しかし聖書には、「善良な」という形容詞は付いていません。このテーマについて、2回に分けてお答えしています。前回は、霊的な側面についてのヒントでした。今回は、具体的な側面についてのヒントです。
1番目に、両親との間に具体的な境界線を引きましょう。
「両親を敬う」とは、いつまでも両親の権威に服従することではありません。悪習慣が日常化している家庭では、それが次の世代に継承されていくという悪循環があります。どこかの段階で、その悪循環を断ち切る必要があります。
親から独り立ちできる年齢になったなら、自立した生活を志すことは、素晴しいことです。適度な距離を置いたところから、両親を敬うことは可能です。境界線とは、これ以上は親に介入させないという線のことです。
自分の子どもたち(親から見ると孫に当たる)に危険が及びそうな場合も、同じように、適切な境界線を設ける必要があります。これは、自分の子どもを守るための知恵です。
2番目に、両親がしてくれた良いことを思い出す努力をしましょう。
「絶対に赦さない」と思うのは、罪です。しかし、傷ついた人は、両親を容易に赦せるわけではありません。どうすればよいのでしょうか。
いかにわずかであったとしても、親らしいことをしてもらった思い出はあるはずです。意識的に、積極的な記憶を呼び戻し、そのことのゆえに両親に感謝しましょう。もし可能なら、感謝を言葉に出して相手に伝えましょう。
3番目に、両親の救いのために祈り始めましょう。
両親を赦しなさいと言われても、すぐにそれができるわけではありません。赦しに至る道は、両親の救いのために祈ることだと、私は思っています。祈りとは、相手の最善を願うことです。それを繰り返しているなら、憎しみの心は徐々に消えていくはずです。相手を憎みながら、祝福を祈ることはできないからです。
もしあなたがイエス・キリストを信じておられるなら、両親のために祈ることはできるはずです。なぜなら、クリスチャンは自分がどれほどの罪を赦していただいたかを知っているからです。
感謝の言葉を口にしたり、両親の救いのために祈ったりすることは、「あなたの父と母を敬え」という命令を実行していることです。そういうあなたの態度を見て、両親が悔い改めに導かれる可能性は、大いにあります。両親を敬うことによって、実はあなたは、天の父に栄誉を帰しているのです。
参考になる聖句
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(2コリ5:17)
具体的な境界線を引いた上で、両親を敬うことを実践しましょう。
もっと詳しく知りたい方は
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました(第2コリント 5:17)