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今日の聖書の言葉

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ人への手紙 10:17)

紀元55年頃のローマ世界

使徒パウロ

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ人への手紙 10:17)

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは私にイエス・キリストについての聖書のメッセージを最初に伝えてくださったのは、北アイルランドからの宣教師でした。聖書にもキリスト教にも全く無関心、無関係に生活していた私が、信仰を持つようになったことは、まさに神の導きであったとしか言いようがありません。というのは、まず、その宣教師が日本に遣わされ、山陰の田舎町で聖書の福音を宣べ伝えていたこと、私が大学進学でその町に住むことになったこと、その宣教師と出会って福音を聞く機会が与えられたこと、そして、イエス・キリストを信じる信仰が与えられたこと、これら一連のことがタイミング良く起こったということが、結果論ではありますが、神の導きであったと思えるのです。

そんなの偶然だと言われる方もいらっしゃるかと思います。本当にその通りで、そのことが起こった時は、「偶然」とか「たまたま」という形の場合もあり、神は、様々な方法で私たちに福音に触れるチャンスを与えられるのだと思います。僕のこの文章も、たまたま見かけて読んでくださっている方もいるかも知れません。

「キリストについてのみことば」は、私たちにとって良い知らせなのです。イエス・キリストが私たちの罪のために身代わりに十字架にかかって死んでくださり、墓に葬られ、三日目によみがえって、復活のいのちを確かなものとして示し、天に上げられて、今、神の右の座に着いておられる、そして、このイエスを救い主と信じるなら、罪が赦され、神との平和を持ち、永遠のいのちをいただくことができるという良い知らせです。

信じるためには、まず聞かなくてはなりません。この聖句が書かれた時代は、主に口頭での伝達が宣教の手段だったので「聞く」という言葉が使われているのだと思いますが、今は活字になった物もたくさんあるので、「読む」も含めて、正確に「知る」ことが大切だと思います。自ら知りたいと求めている場合でも、たまたま聖書のことばに触れた場合でも、神が与えてくださった救いのチャンスを逃すことなく受け入れられますようにお勧めします。

皆尾 公司

この記事の執筆者

皆尾公司

岡山聖書フォーラム代表

皆尾 公司

1967年生まれ。島根県出身。
1987年 島根医科大学(現、島根大学医学部)2年生の時、信仰を持つ。
1992年 同大学卒業。精神科医。
2008年 精神科・心療内科クリニック開業。
2012年2月 岡山聖書フォーラム開始。
2012年10月 ハーベスト聖書塾卒業。