昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
紀元57〜58年のローマ世界
使徒パウロ
昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。(ローマ15:4)
将来に不安を感じている人に、聖書は希望を与えてくれます。「絶望的な状況」って、どんなものでしょう。「これは絶望的な状況だ」と感じてしまうことが、問題なのではないでしょうか。目先のものにとらわれると、ものごとの全体像が見えなくなります。行き詰まったら、一息ついて、神のことばである聖書を学んでみましょう。
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この箇所は、別の訳(新共同訳)では次のように訳されています。「かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです」
(1)この節に書かれている真理は、二千年前も今も、変わりません。かつて書かれたことは、私たちを導くためのものです。つまり、パウロよりもさらに昔の信仰者達が「苦労に耐え続けた先にすばらしい祝福があった」と書いているのを読んで、パウロはそこから慰めを得たのです。
(2)希望は、自分で努力して作るものではありません。神は、聖書を通して私たちにお語りになります。その語りかけの中から、私たちは希望を見いだしていくのです。
聖書を学ぶことでもたらされる3つの恵みについて考えてみましょう。
1)聖書から、昔の聖徒たちの苦労や忍耐を学ぶことができます。
2)また、現在の生活において慰めを受けることができます。
3)さらに「未来に良いものが待っている!」と、希望を持つことができます。聖書を通して与えられる希望こそ、困難な時代を生きるための力です。
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もっと詳しく知りたい方は
「希望に投資せよ」(大阪月例会2011年4月)