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【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

紀元前7世紀頃、バビロン捕囚前のイスラエル

預言者イザヤ

【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:28〜31)

盲目のアスリート高田晃一さんは、高校時代に空手の試合で右目を負傷し、治療に使った薬物の副作用で視覚障害になりました。絶望的な生活が続きましたが、その中でからだを動かすことに喜びを感じた高田さんは、陸上競技を始めることにします。また、空手の練習も再開します。

失明後、多くの宗教からの勧誘があったそうですが、ある宣教師との出会いを通して、クリスチャンになります。

これまでに高田さんは、素晴らしい成績を残してきました。

  • 1992年バルセロナパラリンピック 走り幅跳び 銅メダル。
  • 2000年シドニーパラリンピック 400mリレー 銀メダル。
  • 2006年アジア大会 100m 金メダル 走り幅跳び 銀メダル などなど。

高田さんは現在41歳です。
今の記録を維持しながら、20代の若者たちを相手に戦うのは本当に大変だと思います。これについて、高田さんは次のように語っています。

「ある時から、体力の限界を意識するようになった。そこで、新しい走法を編み出すことにした。今までは自力だけで走っていたが、新しい走法では、『地面からの反発力』をいただいて走るようにした。それは、自分が走っているというよりは、大地から受ける力によって走らせていただいているという感じである。自分は『天才』である。その意味は、天からの才(力)を受けて走っているということである」

この走法は、人生の極意にも通じるものがあると思います。私たちも、我力に頼ってがむしゃらに走っている時は、疲れ、限界を覚えます。しかし、「天からの力」を推進力にして進むなら、力まずに生きることができます。

月刊デボーションガイドClay【クレイ】2008年11月号より

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この聖書箇所の当時、イスラエルの民は「どうして神は、私たちの苦しみを知っていながら、見て見ぬふりをしているのか」と不平をもらしていました。その民に対する神の回答が、この言葉です。

あなたは自分一人でがんばろうとして、もがき疲れていないでしょうか。疲れ、つまずき倒れたときこそ、神の力があなたに注がれる時です。信仰の目で神を見上げ、天からの力を受けて立ち上がりませんか。

この記事の執筆者



						

もっと詳しく知りたい方は

「メダルよりも大切なこと」 高田晃一氏

「神を信じたアスリート」シリーズより

弱さを覚えるとき(第一列王記19:1~18)