2014

09.01

#41 神は信じているのですが、なぜキリスト教の神でないといけないのか、分かりません。

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聖書は、人間には人間を救うことはできないので、神の方から人間に手を差し伸べたと教えています。聖書の性質を解説し他の宗教と比べながら、キリスト教の神は「何が違うのか」を見ていきます。

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#41. 神は信じているのですが、どうしてキリスト教の神でないといけないのですか。

Q. 質問

私は、神様の存在は信じているのですが、なぜ、キリスト教の神でないと救われないのか、その理由がわかりません。どの宗教でも、結局は同じ目的地にたどり着くのではないのですか。

A. 回答

この方の質問は、別の質問に置き換えると、このようになると思います。「キリスト教と他の宗教は、どこが違うのか」。キリスト教と他の宗教の違いが確認できれば、キリスト教でなければならないということが分かるはずです。そこで今回は、キリスト教と宗教一般の違いについて、3つのことを申し上げたいと思います。

1番目に、宗教一般は、どうすれば「神」や「真理」に近づくことができるのかを教えるものです。

ですから、宗教一般の中には、「こうしたらいい」、「こうしてはいけない」、「こう考えたらいい」、「こう考えてはいけない」、といった教えの体系があるわけです。そしてそれを、信者は実行していくわけです。宗教一般が教える救いの特徴は、「業による救い」です。これは、非常に重要なポイントです。

キリスト教の場合は、救いの構造の方向性が、他の宗教とは全く異なります。つまり、「人が神に手を伸ばした」(宗教一般)のではなくて、「神が人に手を差し伸べてくださった」(キリスト教)ということです。この教えの背後には、「人は自力救済が不可能だ」という人間観があるわけです。神が人に手を差し伸べてくださった。これがキリスト教の第一のポイントです。

2番目に、宗教一般は、「哲学的思索」の結果生まれたものです。それに対して、キリスト教は、「神の啓示」によって成立したものです。

つまり、神が歴史に介入し、ご自身を人類に啓示されたということです。その歴史的記録が、聖書です。ですから、クリスチャンは「聖書のみ」という原則に立つわけです。聖書は、歴史書であり、神による啓示の書です。

3番目に、キリスト教は、人類の歴史上で起こった、ある驚くべき出来事を土台として生まれました。その出来事とは、「キリストの復活」です。

キリストは十字架上で死に、墓に葬られ、3日目に復活されました。復活の出来事は、キリストのことばの信頼性、また、聖書のことばの信頼性を証明するものとなりました。

弟子たちは、キリストの復活の目撃者として、自分たちの体験を記録に残しました。それが、新約聖書の内容です。

以上の3点は、キリスト教が宗教一般とは明確に異なる点です。

あなたも、ぜひ聖書を開いて、神からの語りかけを心に受け止めてください。神はあなたを愛しておられます。

参考になる聖句

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネの福音書14:6)

「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」(使徒の働き4:12)

もっと詳しく知りたい方は

イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』(ヨハネ14:6)

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです(使徒の働き4:12)

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