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2014

08.12

#39 私の教会に、同性愛者のクリスチャンがいます。どう考えたらよいのでしょうか?

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教会とは、正しくて罪の無い人が集っている所でしょうか。だとしたら、新しく教会に行きたいな、と思った人にとってはなかなか入りづらい場所ですね。同性愛は罪か、罪ではないのか?そしてクリスチャンは人生の中で、罪とどのように向き合っていくのか、やさしく解説されています。

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#39. 同性愛のクリスチャンについて、どう考えたらよいですか。

Q. 質問

私が通っている教会には、同性愛のクリスチャンがいます。しかし、知人は「同性愛者は決して赦されない」といっていました。この問題について、どう考えたらよいですか。

A. 回答

非常に、難しい質問ですね。まず、定義しておきましょう。今回私がいう「同性愛者」がどういう方かというと、「同性に対して性的魅力を感じている人」です。そのように、とりあえず定義しておきます。さあ、いつものように3つ申し上げます。

1番目に、聖書によれば、同性愛は罪です。

パウロは、ローマ人への手紙の第一章で、同性愛を厳しく糾弾しています。彼のことばをそのまま使えば、同性愛は、「恥ずべき情欲」、「不自然な関係」となります。ですから、聖書を「神のことば」として字義通りに受け取るなら、同性愛は罪であるという結論に至ります。

しかし2番目に、同性愛は赦されない罪ではありません。

同性愛というのは、「最悪の罪で、赦されない罪だ」と誤解をしている方もいるようですが、そうではありません。考えてみますと、常に罪と戦っているのがクリスチャン生活です。クリスチャンだからといって、罪との戦いがなくなるわけではありません。そして、注目すべきは、人それぞれに罪や誘惑の内容が異なっているということです。性的誘惑に弱い人もいれば、金銭欲や名誉欲に支配されている人もいます。けれども、戦っているということにおいては、すべて同じです。

クリスチャンは、日々の戦いの中で、「聖霊に心を明け渡す」ことを学びます。そして、時間をかけて徐々に変えられ、「御霊の実」を付けるようになって行きます。この過程を専門的には、「聖化」と呼びます。ですから、同性愛的傾向と戦っている方も、別の誘惑と戦っている方も、戦っているという点においては同じなのです。

3番目に、同性愛者のクリスチャンという概念は、あり得ます。

もう少し具体的にいうと、その人は、「自らの内にある同性愛的傾向を罪と考えて、それと戦っている人」なのです。

しかし、もし同性愛的傾向を罪と考えていないとするならば、救われていない(クリスチャンになっていない)可能性が大です。あるいは、習慣的に実際の行為に及んでいるのなら、それもまた、救われていない可能性が大です。

そういう方には、イエス・キリストの福音をお伝えする必要があります。いずれにしましても、神様は同性愛を憎まれますが、同性愛者を愛しておられます。そして、その人たちが、束縛から解放されて自由になることを、神は願っておられます。

参考になる聖句

「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません」(コリント人への手紙第一6:10)

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(コリント人への手紙第一10:13)

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「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません」(第一コリント 6:10)

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(第一コリント10:13)


ローマ人への手紙(27)―聖化の力(1)― (ローマ人への手紙 8:1〜8) (アウトラインPDF)