聖書入門.com > 3分でわかる聖書 > 原罪って、なに?

2013

08.29

#8 原罪って、なに?

原罪」って、聞いたことありますか?
聖書は性善説ではなく性悪説・・・つまり人間は誰でも、罪の性質を持っていると書いています。天使だったサタンが堕落した理由も、はじめは素晴らしい存在だった人類が罪人になった理由も、本質的には同じだったというところが興味深いです。さて「罪」の問題を解決する方法はただ一つ。それは何でしょう?

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#8. 原罪とは何ですか。

Q. 質問

ある小説を読んでいたら、「原罪」という言葉が出てきました。日常会話ではほとんど使わない言葉ですので、とまどいました。正確な意味を教えてください。

A. 回答

「原罪」とは、人間であれば誰もが持っている「罪への傾向性」のことです。

人間の評価については、性善説と性悪説がありますが、聖書は「性悪説」に立っています。人はすべて心の中に「悪への傾向性」を持っているというのが、「聖書的人間観」です。

原罪について、3つ申し上げます。

1番目に、最初に「罪」を犯したのは、悪魔です。

悪魔は、聖書では「サタン」とも言います。悪魔は、最初は「最高の天使」として創造されました。その天使が、堕落して悪魔になったのです。

堕落した原因は何かというと、傲慢です。悪魔はあまりにも美しかった。そして、自分が神のようになろうとした。これがポイントですね。「自分が神になりたい」と思って神に反抗したことが、悪魔が犯した罪です。

2番目に、悪魔に誘惑されて、アダムとエバが罪を犯しました。

これは創世記3章に出てきます。アダムとエバは、エデンの園に置かれていました。神はアダムに、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」とお命じになりました。つまり、一つの例外を除いて、どの木の実を食べてもよかったのです。「善悪の知識の木」は、アダムとエバが、神によって作られた被造物として、神に忠実に歩むかどうかをテストするための木でした。

サタンは最初、エバに近づいて、彼女を誘惑しました。アダムは神から直接命令を聞いていましたが、エバはアダムから間接的に聞いていたので、サタンは女の方が騙しやすいと思ったのかもしれません。サタンがエバを誘惑した方法は、「これを食べれば、あなたも神のようになる」というものでした。サタン自身が「自分も神のようになりたい」と思って堕落したわけですが、彼はそれと同じ動機付けを使って、女を誘惑しました。

女は「食べてはいけない」と言われていたものを食べ、次に夫のアダムにも与え、アダムもそれを食べました。これが、アダムとエバが犯した「罪」です。つまり、罪の本質は「神への反抗」です。何が善で何が悪であるかは自分で決めるという態度は、自らを神とすることです。

3番目に、そのとき以来、人類はアダムの「罪の性質」を継承して誕生するようになりました。

つまり、アダムとエバから生まれた子どもは、「同じ性質」を持って生まれてくるようになったということです。その孫もひ孫も、全部同じです。

人類の先祖はアダムとエバですが、その子孫として私の両親が生まれ、私の両親から私が生まれました。私は、遺伝的に両親の「肉体的性質」を継承していますが、それと同じように、内面的にアダム以来の「原罪」という「罪への傾向性」を宿して生まれてきました。

聖書は、「罪の支払う報酬は死です」と教えています。この場合の死というのは、「神との断絶」のことです。つまり、「原罪を宿したままでは、人は永遠の滅びに行くのだ」と警告しているのです。

私たちの今の状態は、先祖アダムに繋がっている状態です。イエス・キリストのことを「最後のアダム」、あるいは「第2のアダム」と言います。聖書が提供する「救い」は、最初のアダムとの関係を断ち切って、最後のアダムであるイエス・キリストに繋がりなさいということです。それが、イエス・キリストを信じるということです。

イエス・キリストに繋がるなら、この方の性質を自分の内に宿すことになるので、「原罪」の問題は解決されます。つまり、イエス・キリストを信じるということは、「最初のアダム」との関係を断ち切って、「最後のアダム」であるイエス・キリストと繋がることなのです。

ぜひ、イエス・キリストを見上げて、この方を「救い主」として受け入れてください。

参考になる聖句

「神である【主】は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。神である【主】は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ』」(創世記2:15〜17)

「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」(コリント人への手紙第一15:22)