わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

紀元30年頃のイスラエル

イエス・キリスト

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11:25〜26)

「よみがえり」「いのち」「死んでも生きる」「決して死ぬことがない」など、さっと読んだだけでは意味がよく分からないけれども、惹きつけられる言葉だと思いませんか?
これは、おそらく、私にとって初めて目にした聖書の言葉だったと思います。

小学生の頃、はがき大のカードが郵便受けに入っているのを見つけました。それには、2匹のひよこの写真とともに、この言葉が書かれていました。「聖書」とは書かれていなかったので、それが聖書の言葉とは知らなかったのですが、何か不思議な言葉だと思って、高校生ぐらいまで、そのカードを大切に持っていた記憶があります。
大学2年生の時、聖書を読むようになり、ヨハネの福音書を読んでいて、この言葉に再会しました。ああ、これは聖書の言葉だったのかと気づいた時、もしかしたら神が私を信仰へと導くために贈ってくださったカードだったのかもと思ったものです。

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さて、聖書のヨハネの福音書を読んでいくと、この言葉は、イエスの公生涯の終盤のとても重要な場面で語られたものだということが分かります。
この時すでに、ユダヤ人の宗教指導者たちは、イエスがメシアであることを否認し、逆に、神を冒瀆したとして、逮捕、殺害する計画を立てて探し回っていました。
そのような状況の中、イエスは友人ラザロが病気であるとの報告を受け、エルサレム近くのベタニヤ村を訪ねることにしたのです。エルサレムに近づくことは、死を覚悟しなければならなかったので、最初、弟子たちがためらった様子が記されています。
イエスと弟子たちがベタニヤ村に着いた時、ラザロは死んで4日経っていました。ラザロの姉妹マルタとマリヤはもちろん、大勢のユダヤ人たちが集まって悲しんでいましたが、村の入り口でマルタと会話をしている中で、イエスが冒頭の言葉を語られました。
この言葉を聞いた時点では、マルタもイエスの弟子たちも、その意味を十分理解できなかったと思われます。
この後、イエスは、墓に葬られて4日経つラザロをよみがえらせるという大きな奇跡を行なわれました。
死人をよみがえらせるという奇跡を見た多くの群衆がイエスを信じましたが、そのことは宗教指導者たちをイエス殺害計画になお一層駆り立てることになり、数か月後の過越の祭りの時に、イエスは十字架にかけられて殺されてしまうことになりました。
しかしイエスは、死んで葬られた後、3日目によみがえられました。

冒頭の言葉は、預言的な言葉であったことが分かります。
イエスは、死を打ち破ってよみがえられた方であり、永遠のいのちを与えることができる方です。
「永遠のいのち」とは、イエスを信じる者に、信じた瞬間に与えられるもので、ただ単に時間的に長いという意味ではなく、時間を超越した、質的にも新しいいのちのことです。
ですから、イエスを信じる者は、今の肉体が死んでも、イエスと同様によみがえって、永遠のいのちに生きることができるのだと教えています。
「このことを信じますか?」
直接にはマルタに語られた言葉ですが、今の時代の私たちにも投げかけられている質問だと思います。
信じて、永遠のいのちを受けられるようお勧めします。

皆尾 公司

この記事の執筆者

皆尾公司

岡山聖書フォーラム代表

皆尾 公司

1967年生まれ。島根県出身。
1987年 島根医科大学(現、島根大学医学部)2年生の時、信仰を持つ。
1992年 同大学卒業。精神科医。
2008年 精神科・心療内科クリニック開業。
2012年2月 岡山聖書フォーラム開始。
2012年10月 ハーベスト聖書塾卒業。

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