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あなたがたは今、「私たちは目が見える」と言っています。あなたがたの罪は残るのです。

紀元30年頃のイスラエル

イエス・キリスト

そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」(ヨハネ9:39〜41)

これは、スコットランドのグラスゴーグリンという町で、キリスト教の伝道者が路傍伝道を行っていた時に起きた出来事です。

 

集まってきた人々の中のひとりがこう叫んだ。

「みなさん、私は審判も天国も地獄も、また神も見たことがありません。だから、私は信じません」

すると他のひとりが立って応じた。

「みなさんは、この町のそばをクライド川が流れ、岸辺には草や木が生えていると私に言われます。また、太陽は輝き、ここに人々が立っておられると言われますが、私は生れつき盲目なので、そのようなものは何一つ見えません。私にとってはそれらのものは無に等しく信じられないものです。しかし、それらのものが存在することは、事実でしょう。

ところで、見たことがないから信じないと言われるみなさんに申し上げます。あなたがたは、話せば話すほど自分の無知を表しておられます。あなたは霊的に何も見えない人です」

CD-ROM版キリスト教例話集 Ver.4 より

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これは、当時イスラエルの政治的、宗教的指導者であったパリサイ派という学者達とイエスとの対話の場面です。
パリサイ派の指導者達は、神が与えた律法を都合のよい解釈で民衆に教えていました。自分たちこそが最も正しく信仰深いように振る舞い、その権力と知識を誇っていたのです。ここで「見える・見えない」などど表現されているのは、霊の目のことです。
イエスを支持する民衆や弟子達のことを「目の見えない無知な者」としてバカにしているパリサイ人こそ、「盲目である」と語られています。

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