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義人は信仰によって生きる

紀元55年頃のローマ世界

使徒パウロ

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ人への手紙 1:17)

義人は信仰によって生きる使徒パウロは、「聖書の福音は、信じるすべての人にとって救いを得させる神の力である」と述べた後に、「なぜなら」という接続詞でこの聖句を続け、説明を展開しています。

福音のうちには「神の義」が啓示されていると語っていますが、「神の義」という言葉には、神の正しさ(正義)という意味と、神が罪ある人間に対して、キリストの十字架の御業のゆえに無罪と宣言してくださることの両方が含まれていると思います。

神は、私たち人間が、後者の意味での「義」を受け取るための手段として、「信仰」のみを要求されます。すなわち、聖書の福音がもたらしてくれる救いを得るためには、信仰が唯一の方法であるということです。

「信仰に始まり、信仰に進ませる」というのは、聖書の福音が与えてくれる救いが、罪を赦されて義と認められるという出発点だけではなく、その後のクリスチャン生活において、キリストの性質に似た者とされていくという救いもあり、さらには、最終的に栄光の体が与えられるという完成に至るまでの連続的な救いを意味しており、この一連の流れがすべて、信仰を土台としているということを表現しているのです。

続いてパウロは、旧約聖書のハバクク書(2章4節)から聖句を引用しています。

「義人は信仰によって生きる」

文脈を無視して、この聖句だけを取り出して読むと2つの大きな誤解をしてしまう可能性があるのではないかと思います。1つは、世の中に「義人」と呼べる全く正しい人がいると思ってしまうこと、もう1つは、どの宗教であれ「信仰心」が大事だと思ってしまうことです。

すでに述べたことを踏まえてこの聖句を読むと、「義人」というのは、クリスチャンとしての出発点において、信仰によって罪を赦され、義と認められた人のことです。その人は、信仰によって、日々のクリスチャン生活の中でキリストに似せられていくという救いを受けながら、最終的な救いの完成を目指して生きるのだ、と解釈するのが正しいと思います。そして、大事なのは「信仰心」ではなく、信仰の対象であり、真の神に対する信仰こそがこの救いをもたらせてくれるものです。

真の神への信仰によって、日々、救いを味わい、神の恵みを喜びつつ生きる者とされることは何と幸いなことでしょう。是非、この素晴らしい救いを受けられますようお勧めいたします。

皆尾 公司

この記事の執筆者

皆尾公司

岡山聖書フォーラム代表

皆尾 公司

1967年生まれ。島根県出身。
1987年 島根医科大学(現、島根大学医学部)2年生の時、信仰を持つ。
1992年 同大学卒業。精神科医。
2008年 精神科・心療内科クリニック開業。
2012年2月 岡山聖書フォーラム開始。
2012年10月 ハーベスト聖書塾卒業。