聖書を知りたい人のために(1)

聖書って誰がいつごろ書いたもの?

スピーカー:中川健一

聖書箇所:聖書全般

収録日:20111011

メッセージ再生(68:19)

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イントロダクション

 

1.はじめに

(1)混沌とした時代

①日本は破壊された。第2の戦後。「震災後」という新しい時代に突入した。
②民主主義の危機。欧州の危機(ギリシアの債務不履行)、米国の危機。
③中東情勢の混乱。イスラエルは国際的にますます孤立しつつある。

 

(2)信頼できるものはあるか。

①情報の洪水
②聖書に関するメッセージの必要性
*時代の要請
*「メッセージ・ステーション」の拡大

・「クリスチャンライフ、このうるわしきもの」の4回シリーズ
*永続性のあるメッセージ
*基本に立ち返る必要性
*「聖書研究から日本の霊的覚醒(目覚め)が」

 

(3)9つの質問を取り上げる。

①聖書とは何か。
②聖書はいつ、どのようにして今のような形になったのか。
③聖書観には、どのようなものがあるか。
④聖書は「霊感を受けて書かれている」とは、どういう意味か。
⑤聖書に多くの翻訳があるのは、どうしてなのか。
⑥聖書はどこから読んだらいいのか。
⑦聖書が神のことばであるという証拠は何か。
⑧聖書に誤りは含まれていないのか。
⑨聖書は自分自身について、どう証言しているか。

 

2.アウトライン

(1)聖書とは何か。
(2)聖書はいつ、どのようにして今のような形になったのか。
(3)聖書観には、どのようなものがあるか。

 

このメッセージは、聖書が神のことばであることを学ぶためのものである。

 

Ⅰ.聖書とは何か。

 
1.聖書の区分

(1)旧約聖書39巻(ユダヤ人たちにはこの言葉はない)

①律法(トーラー)
②歴史書
③文学書
④預言書

 

(2)新約聖書27巻

福音
②歴史書
③書簡
④預言書

 

(3)ユダヤ人による区分

①律法
②預言者
③諸書

 

2.聖書を表す用語

(1)聖書(Bible)

①ギリシア語のbiblosから出ている。
②元の意味は巻物であるが、後になって本をも指すようになった。

 

(2)聖書(Scripture)

①ギリシア語のgraphei(名詞)とgrapho(動詞)から出ている。
②「書かれたもの」の意。

 

(3)神のことば(Word of God)

①「書き記された神の啓示」という点に強調がある。
②ギリシア語のlogos(ことば)がキーワードである。

 

Ⅱ.聖書はいつ、どのようにして今のような形になったのか。

 

1.正典(Canon)問題

(1)霊感を受けて書かれた書はどれか、どれが聖書に含まれるべきかという問題。

①カトリックとプロテスタントの理解は異なる。
②カトリックは、外典(アポクリファ)も含める。
③七十人訳聖書に外典が含まれていた。

 

(2)いつの時代でも、正典に疑問を投げかける者はいる。

 

2.旧約聖書

(1)新約聖書ほど難しくはなかった。

①前4世紀ごろには、今の39巻が正典として認識されるようになっていた。
②現存する最古の写本は、前1世紀頃書かれたとされる死海写本である。

 

(2)イエス・キリストによる認定

①マタ5:17「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」

 

(3)外典

①紀元250年頃には、ほぼ意見の一致が見られた。
②外典の理解に関して、今も若干の論争はある。
③通説では、外典は歴史的な文書であるとされる。

 

3.新約聖書

(1)初期の信者たちの認識

ペテロはパウロの手紙に権威を認めている。

2ペテ3:15〜16「また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています」

②パウロの手紙は回覧されていた。

コロ4:16「この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラオデキヤから回って来る手紙を読んでください」

1テサ5:27「この手紙がすべての兄弟たちに読まれるように、主によって命じます」

 

(2)教会教父たちの認識

①ヒッポリュトス(Hippolytus)(紀元170〜235年)
*22巻を、霊感を受けた書として認識していた。

②論争のあった5巻
*ヘブル人への手紙
*ヤコブの手紙
*ペテロの手紙第二
*ヨハネの手紙第二
*ヨハネの手紙第三

 

(3)教会会議による27巻の認定

①ヒッポ会議(393年)
②カルタゴ会議(397年)
③認定の規準
*著者は、使徒か、使徒と関係の深かった人か。
*教会全体から受け入れられているか。
*正統的な教理や教えと矛盾しないか。
聖霊による霊感を感じさせる霊的、倫理的価値を含んでいるか。

 

(4)以上の背景に、神の導きがある。

①教会会議が決定したのではない。
②信者たちが、正典を認識したのである。
③神の権威を認めない者は、いつの時代にもいる。

 

Ⅲ.聖書観には、どのようなものがあるか。

 

1.合理主義(聖書よりも人間の理性を上に置く)

(1)極端な合理主義者は、神の啓示の可能性を否定する。

①無神論
②不可知論
③理神論

 

(2)穏健な合理主義者は、神の啓示の可能性を認めるが、その価値を判断するのは人間の理性であるとする。

①近代主義
②自由主義神学

2.神秘主義(経験に最高の価値を置く)

(1)聖書は神のことばではあるが、それ以外にも霊的真理はある。

①汎神論
・有神論のように世界の外にある神と被造的世界との絶対的対立を認めない。
・「神即自然」という標語が用いられる。
・ニューエイジ運動

②ヨガ
・個体魂の神への結合を実現するための実践体系を指す。
・最近流行のヨガ体操は、本来のヨガとは異なったものである。

 

(2)聖書的神秘主義もある(聖書よりも経験を上に置く)。

①聖霊が聖書を通して私たちに働きかける(啓明)こと。
②ユダ3「愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました」

*「聖徒たちにひとたび伝えられた信仰」→すでに真理は啓示されている。
*聖書に何かを付加するために、新たな啓示を求める必要はない。
*すべての経験は、聖書の教えによって判断されるべきである。

 

3.ローマカトリック(聖書よりも、教会を上に置く)。

(1)聖書は教会の作品である。
(2)聖書はあいまいに書かれている。
(3)最終的な権威である教会が、聖書の意味を明らかにする。
(4)教会の伝統に重きを置く。

①ヘブル語・ギリシア語の本文よりも、ブルガーター訳(ラテン語)を重視する。
*405年にヒエロニムスが完成。
*1546年のトリエント公会議で公認聖書となる。

②使徒ペテロが初代の法王。法王権がカトリック教会の中で継承されてきた。

 

4.新正統主義(聖書よりも、「神との出会い」体験を上に置く)

(1)実存主義哲学の影響を受けている。
(2)聖書は神のことば(メシア)を証しするものであるが、過ちを含んでいる。
(3)聖書の中から「神のことば」を見つけ出すことが、人間の役割である。
(4)そのためには、「神との出会い」が必要である。
(5)どれが「神のことば」であるかについては、意見の一致がない。

 

5.カルト(聖書よりも、別の聖典を上に置く)

(1)聖書プラス何か別の聖典が重要とされる。
(2)聖書の霊感を認めると同時に、別の聖典の霊感も認める。

①モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)
*モルモン経

②クリスチャン・サイエンス
*メリー・ベーカー・エディ(1812〜1910)著『科学と健康──付聖書の鍵』

 

6.正統主義(聖書的立場)

(1)聖書は、誤りなき神のことばである。
(2)聖書の原典は、霊感を受けて書かれており、なんの誤りも含まない。
(3)聖書は、信仰と生活に関する唯一で最終的な権威である。

 

結論

1.聖霊により頼む

(1)ヨハ16:13「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです」

 

(2)未信者の人は、聖書は神のことばかどうかを自問する。

①もしそうなら、聖書を否定することは、神を否定することになる。
②もしそうなら、聖書は、信仰と、実生活と、倫理基準の最終的な権威となる。
③聖書から得られる2つの祝福
*神とはどういうお方か。
*その神との正しい関係に入るためには、どうすればよいのか。

福音の3要素を信じる。

 

2.文脈を考えながら読む。

(1)聖書全体の文脈
(2)各書の文脈
(3)前後関係の文脈

 

3.他の人々の助けを借りて読む。

(1)エペ4:11〜13「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」

(2)自分一人で読もうとする人は、傲慢である。

(3)過去の人たち、神学書、注解書、指導者たちから学ぶことが大切。

祈ってみよう!

イエス・キリストを心に受け入れるにはどうしたらいい?

今、聖書に書かれている神の救いを、自分のものとして受け取りたいと思いますか?受け取る方法は簡単です!
神様がただ一つの救いの方法として示しておられる、イエス・キリストを心に迎える祈りをしてみましょう。あなたが良い人間である必要も、あなたが頑張り屋である必要もありません。祈り方はボタンをクリック!