あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

紀元30年頃のイスラエル

イエス・キリスト

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)

この箇所は、当時のイスラエルの民がパリサイ派の指導者たちに惑わされて「モーセの律法」を間違って教えられていたのを、イエス様ご自身が「山上の垂訓」とそれに続くメッセージで正された時のいくつかの項目のひとつです。それらに共通しているのは、外に出る行為ではなく、内側の動機と心が最も大切である、という真理です。その良い例のひとつがこの箇所で、富に対する人間の態度です。

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私は以前は、給料やボーナスをより多くもらえるように、会社での出世や仕事の成功に常に心を奪われてきました。しかし、クリスチャンになってこの聖句を読み、神にも仕え、富にも仕えることが不可能であることを学びました。それは、一方を重んじたなら、必ず他方を軽んじてしまうからです。この世の富そのものは悪ではありません。しかし、問題は心が支配されてしまうことです。創造主である神は、私たちの心をご覧になるお方です。

同じマタイの福音書の6:20〜21には「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」とあります。

自分の宝とは、自由意志を与えられた私たちが神を信頼して仕えたいという心です。それを天におられる神に捧げるなら、虫もさびもつくことがなく、誰かに盗まれてしまうこともありません。神はそのような私たちを祝福してくださいます。

モーセの律法はイエス様が十字架で死なれた時点で成就して、それ以降は適用されなくなりました。しかし、その多くは、イスラエルの民に新しい契約(新約)が与えられた時に、同じ内容の新たな律法として人間の心に刻まれました。それらは、オリーブの木に接ぎ木されるようにして、イスラエルの民だけでなく、私たち日本人を含む全人類に与えられているのです。

岩崎 洋二

この記事の執筆者

岩崎 洋二

杉並聖書フォーラム代表

岩崎 洋二

1944年生まれ。神奈川県出身。
1967年 東京工大卒。39年のサラリーマン生活を送り、米国に9年、南米に4年海外駐在をする。
1986年 福音を信じてクリスチャンとなる。
2012年より杉並聖書フォーラム開始、現在に至る。
2014年 7月ハーベスト聖書塾卒。