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この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。

紀元28年頃のイスラエル

パリサイ人(当時のユダヤ人指導者)

そのとき、悪霊につかれて、目が見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが彼をいやされたので、その人はものを言い、目も見えるようになった。群衆はみな驚いて言った。「この人はダビデの子なのだろうか。」これを聞いたパリサイ人は言った。「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ」(マタイ12:22〜24)

これは、悪霊につかれて目が見えず、口もきけない人をイエスが癒したときに、ユダヤ教パリサイ派の指導者たちが、イエスの力は悪霊のかしら、つまりサタンから来ていると非難したという事件です。なぜ、そのような非難をしたかと言うと、イエスがパリサイ派の教えを否定していたために、パリサイ派としてはイエスを、旧約聖書が預言してきた救い主キリストとは認めることができなかったからです。

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パリサイ派の教えは、聖書の中では、「先祖たちの言い伝え」と呼ばれています。口伝律法とも言いますが、旧約聖書の中に書かれた律法、いわゆるモーセの律法とは別なものです。たとえば、モーセの律法では、安息日は仕事をしてはならず、休みの日とされます。エジプトで奴隷だったイスラエル民族が解放されて自由の民となった喜びのしるしとして、安息日が与えられたのです。しかし、パリサイ派は、モーセの律法を破らないようにするためにと、安息日にしてよいことと、してはならないことの規則を事細かに決めて、民衆に課しました。たとえば、病人を緊急かつ命にかかわらない限り、安息日には癒してはいけない、というのです。

この事件が起きた日も、安息日でした。その日、イエスが会堂で片手のなえた人を癒し、公然とパリサイ派の言い伝えを否定したので、パリサイ派はイエスに対する殺意を抱きます。これを察知したイエスは会堂から立ち去るのですが、病をかかえた多くの人がついて行って、イエスによって癒されました。その中に、悪霊につかれて目が見えず、口もきけない人がいたのです。

当時、口をきけなくする悪霊への対処はユダヤ教指導者たちには不可能で、キリストのみができる奇跡であると考えられていました。そのため、イエスがこれをしたときに、民衆の間で動揺が起きます。「この人はダビデの子なのだろうか」、ダビデの子というのは、旧約聖書で預言されたキリストの呼称です。イエスは救い主キリストなのかと、民衆は指導者たちに問いかけたのです。

指導者たちは、イエスの力は悪魔的なものというレッテルを貼ってしまいました。このあと、イエスがラザロをよみがえらせても、キリストとは認めませんでした。さらに、イエスの復活を見ても、弟子たちが命がけで証言しても、指導者たちは見解を変えませんでした。ついに、紀元70年、神は、ローマ軍を使ってこの世代のユダヤ人たちにさばきを下します。エルサレムは破壊され、世界離散となりました。しかし、神がイスラエルを愛し、選んでおられることに変わりはありません。近い将来、イスラエル民族が救われる日が来ると聖書は預言しています。

清水 誠一

この記事の執筆者

清水 誠一

熊本聖書フォーラム代表

清水 誠一

1955年生まれ。静岡県出身。
1981年熊本大院卒。
税理士事務所、日本IBMに勤務ののち、1995年より熊本市に在住、現職は会社役員。
20代で右翼思想から転向して、米国バプテスト教会宣教師より受洗。
30代でペンテコステ系神学に傾倒するも挫折、ガン病棟を経験。
40代は仕事に没頭、家庭崩壊と離婚の危機。
50代で聖書を読み直す。
2013年より熊本聖書フォーラム開始、現在に至る。
2014年7月ハーベスト聖書塾卒。