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愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。

紀元55年頃のローマ世界

使徒パウロ

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4〜8)

新約聖書はギリシャ語で書かれました。
ここで愛と訳されていることばの原語はアガペーです。
パウロはこのアガペーの愛について書いています。
他にも愛と訳されるギリシャ語はエロス(性的愛)、ストルゲー(家族的愛)、フィリア(友の愛)がありますが、聖書はアガペーの愛を私たちに伝えようとしています。

パウロがアガペーについて語りはじめたとき、「優れた道を示しましょう」という前置きをしています。それで、アガペーとは道であることがわかります。さらにパウロはアガペーがなければ、賜物(能力)も、奇跡も、犠牲も価値がないと、その異常なほどの重要性を伝えています。

当時の道は門から始まり、それぞれ特徴を持ち、到着地点に至ります。
例えば、小さな門、狭い道、少ない通行人がいのちに至る道です。
アガペーの門はキリストの愛を知るところです。
ここからアガペーの道は始まります。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(1ヨハネ3:16)
イエスが十字架でいのちを捨ててくださった愛、これがアガペーの愛です。
イエスを信じその愛を知った者はその道の旅人として門に立つのです。

その道の特徴はペテロの言葉によれば、キリストの足跡がついており、旅人はそれを慕い、道しるべとして歩むことになります(1ペテロ2:21)。
パウロは極めて具体的にこれを伝えており、それが、彼が愛について格調高く語っている冒頭の聖句です。全部で16の特徴を持つのが主イエスの足跡です。

「寛容と親切」― 罪人の友となり、出かけて行ってやさしく手を置いて病の人々を癒されたこの方のしもべとしての歩みを思い出させます。
「ねたまず、自慢せず、高慢にならず」― へりくだって謙遜を示されたイエスの生涯。
「礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず」― ここにイエスの品性と慎み深い生活を知らされます。
「怒らず、人のした悪を思わず」― この方は反逆の民に何と忍耐されたでしょうか。
「不正を喜ばず真理を喜ぶ」― 確かに、不正には明確な対決姿勢をとられ、常に父なる神の御心に従うことを喜びとされ、十字架の死にまで従われました。
「すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍ぶ」― ここに、弟子たちを愛された主イエスの姿があり、また、牧会者として同じように労苦しているパウロの姿があります。

アガペーの道の到着点は12節にあるようです。「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔を合わせて見ることになります」
実際に主イエスに顔と顔を合わせてまみえる時がこの道のゴールです。「なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです」(1ヨハネ3:2)

最後に、アガペーの愛は決して絶えることがないということばはどのように成就するのでしょうか。聖書で預言されている千年王国ではエルサレムの神殿でいけにえが捧げられますが、この時全ての人は、キリストの十字架の愛と犠牲を記念します。さらに永遠の秩序、つまり新しい天と地においては小羊が都の明かり(シャカイナグローリー)となります。(黙示録21:23)
小羊は十字架の愛の象徴です。主イエスの十字架で現して下さった、真実なアガペーの輝きは都に満ちるのです。

私たちは、今日という日を、パウロが示してくれたキリストの愛の道をたどるようにと、呼びかけられているのです。

木林 正弘

この記事の執筆者

木林正弘

さっぽろ聖書フォーラム代表・長老

木林 正弘

1955年生まれ
札幌医科大学卒業
医学博士
ちいろば子供クリニック院長
ハーベスト聖書塾第一期生(2011年卒業)