神はまた、人の心に永遠を与えられた。

紀元前10世紀頃のイスラエル

ソロモン王

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3:11)

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「人の心に永遠が与えられた」とはどういう意味でしょうか。

(1)人は教えられなくても、永遠という概念を知っています。たとえば、自分のおばあちゃんが死んだりすると、子供が「おばあちゃんはどこに行っちゃったの?」と聞くことがあります。それは、今生きている世界がすべてではなく、人は死んでもたましいが生き続けるということを直感的に知っているからです。

(2)人は、永遠に価値のあるものにあこがれ、そのようなもののために生きたいと願います。自分が生まれてきたのは偶然で、その時々を目的なく生き、死ねば後は何も残らない、という考えに人は耐えることができません。神を信じない人は、このことをもって「だから人は神というありもしないものを信じたがる」と言うでしょう。しかし、そうした永遠への思いを人の心に与えたのが神だとすれば、正しい対処の方法は、その思いを与えた方である神を見上げることです。

神の存在を否定する人にとって、人生の目的や意味はありません。神が人をつくったのでないとすれば、進化によって発生したと考えるほかありません。進化論では、人は突然変異が重なって進化してきたもので、その存在目的も意味もありません。ただ自然淘汰による生存競争を生き延びてきたというだけです。

しかし、人の心はこの考えを否定します。ですから、日頃は神などいないと言っている人が、危機的な状況に直面すると、意に反して神の助けを求めて祈ってしまう、ということがあるのです。それは、心の奥底では、永遠と、永遠の神という存在を知っているからです。

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